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12月に入ってからというもの爆弾低気圧などの影響もあり、悪天候が続いております。 暖冬のはずだったのでは?との思いも強くありますが、昔はこんなもんじゃなかった、ともよく聞かされますので弱音を吐いてはいけませんね。 インフルエンザの兆しもみられ、体調をしっかり管理して年末年始を快適に過ごせるようにしたいものです。 ~*~*~*年末年始の休診のお知らせ~*~*~* 12/30~ 1/4 まで休診となります。 また来年もよろしくお願い致します。 #
by 418support
| 2014-12-25 14:45
| ニュース
雪の少ない冬も終わりあっという間に3月になりました。 このホームページも開設して丸1年経ちます。(丸の内歯科ニュースは ホームページ開設前から発信していましたので2年経ちます) ニュース担当者としましては、<毎月発信>を心がけてきましたが うまく作業が進まず、不定期になってしまうこともしばしば...。 これからの目標としては定期的発信を基本に 内容を熟慮し、読みごたえのあるものをつくりたいと思っています。 特に画像掲載についてはまだまだ未熟なのでその辺も勉強していきたいと思っています。 では、ホームページ開設1周年を記念しまして満を持して <院長へのインタビュー> を行ないましたのでその様子を掲載します! 院長はT インタビュアーはM M: まずは簡単な略歴を紹介して下さい T: 昭和58年 大学の歯学部を卒業してから横浜市立大学医学部病院の口腔外科に入局しました。 2年後そこから出向という形で船員保険病院に1年間いました。 その後、横浜市大病院に戻ってきてまもなく父が心筋梗塞で倒れ、富山に帰ってきました。 結局そのまま横浜には戻れず父の代わりに丸の内歯科医院での診療をしました。 幸い父も現場復帰が可能になりましたが、半日だけ診療することになったので 私は富山医科薬科大学付属病院(現富山大学附属病院)の口腔外科に入局しながら 週に2回程は丸の内歯科医院の診療を手伝うというスタンスでやっていました。 しかし、平成4年父の体力も限界だろうと察知し医薬大は退職し父と一緒に診療しはじめました。 平成6年末に父が亡くなってからは私が院長となり現在に至ります。 M: 先代の跡継ぎとして歯科医師になったのに、最初の就職先として大学病院の口腔外科に入局したのはどうしてですか? T: 父が開業医だったからといってすんなりそのままレールに乗せられるのは嫌だなと思ったことも理由の一つですが歯科の枠にとどまらず医学的基盤をもった歯科医師になりたいと思っていました。 就職するにあたってはいろんな大学を見て回りましたが、当時横浜市大の口腔外科は major surgeryといわれるような 大きな手術をすることで知られたところで、活気に溢れた自由な雰囲気に惹かれました。 M: 口腔外科での実際の業務はどんなものだったのですか?また、そこで得たもの、学んだことなども聞かせて下さい T: 横浜市大では口腔癌の手術を積極的に行っていて中でも、ただ悪いところを切除するだけでなく、例えば、失った顎や舌などをご本人の他の筋肉、皮膚などを使って補う<再建術>などで高い技術をもっていました。 そんなトップレベルの治療に自分も関わることができ細かい治療である歯科の分野を大きく離れ<医療の現場>にどっぷりと浸かった日々でした。 その後の富山医薬大では、まず、なんと言っても口腔外科学講座 古田教授 との出会いです。 古田教授はとにかくものすごくバイタリティがある方で仕事はバリバリにこなしスポーツはやる、酒は飲む、歌も好き 私たち部下を本当によく飲みに連れていってくれました。 やんちゃな部分があってとても大勢の仲間に囲まれているそんな方です。 県内の病院に口腔外科はあるのですが、大きな手術ができるところは、医薬大だけでしたから、県内のあちこちから 患者さんは集中しましたし、横浜市大同様、とても忙しい日々でした。 たまたまなんですが、横浜市大の助教授だった小野先生が古田教授の先輩だったこともあり時々手術の手伝いに来られました。 横浜を去ってからも横浜時代の先生との接触がずっと続いたことは当時の私にはとても心強いことでした。 とにかくいずれの病院も大きな手術が多かったし、重症な患者さんを抱えていたりすると非常に忙しく、また当直などもありましたから、休む暇もないほどでしたが、充実していました。 また、ターミナルケア(終末期医療)に触れたことも自分の中では非常に大きいことです。死を迎える患者さんたちとの関わりの中で「生命の尊厳」ということを 深く学ぶことができた、これは本当に貴重な体験でした。 M: 先代の病気がきっかけとなって、数年間先代と共に診療していた時期がありますが、振り返ってみてどんなものでしたか? T: 親子2代で診療をするというのはそう珍しいことではないのですが、うまくいかないことが多いようです。 私の場合は短い期間だったけれど、有意義な時間だったな...と思います。 父の診療姿勢は知識や技術がどうのこうのというよりも患者さんとの接し方、患者さんの中に入って、とけこんで治療している姿これは私が今でも遠く及ばない部分だなぁと思います。 また父が晩年、「これからは<歯周病治療>が大事になっていく」と言ってたことがやがて私の目指す道のヒントになっていたな と思います。 父との診療は全体的に、うまくやれたと思うし今思えば楽しかった。 初めの頃は患者さんから「大先生に診てもらいたい」と言われることもあって私も2代目の辛さを存分に(?)味わいました。 でも、父が時々不整脈で入院したりすると否応なく私だけの診療になるし、退院しても次第に仕事を任せてくれるようになっていき段々患者さんとうまくやっていけるようになったと思います。 父から診療をする上で何かを教わるということはほとんどなかったけれど、父が亡くなってから治療のことだけに限らず、いろんな節目、節目で 「 この場合父ならどうするだろうか」 と考えることはあります。 M: 開業医となってからの診療に対する気持ちの変化は現在まで、どのように変わってきましたか? 分かりやすく教えて下さい。 T: 初期(平成4年頃〜)はやはり目指していた口腔外科を途中で辞めて入ったということで気持ちの上ではずいぶんくさくさしたものがあったなぁと思います。 しかし、その中で診療を続けていく内に、偉そうな言い方ですが、段々、地域の中の歯科医療というものになじんでいきました。父ひとりでやっていた時代は歯科衛生士はいなかったのですが、私が主になって診療するようになってからは、歯科衛生士を雇い少しづつ<歯周病治療>に取り組むようになりました。 歯磨き指導をしたり、歯ぐきの検査、歯石の除去を行なって、経過を写真に残す...というような形で治療し始めたということです。 平成6年の末に父が亡くなり、私が院長となってからは「この丸の内歯科医院でやっていくのだ」という肝もすわって より一層本格的な歯周病治療に取り組むようになりました。 それまでの歯科では、歯周病治療をする という意識は本当に少なかった時代ですから患者さんへの説明にも苦労しました。 治療は患者さん本人の自覚、根気が必要でしたから、歯科衛生士も熱心に患者さんを説得し本当に地道にブラッシング指導をし歯ぐきの検査をし、口腔内の写真を撮ってはスライドにして経過を残す。 そして、患者さんに説明し,また治療をするそんな努力が実ってか患者さんの状態にもずいぶん改善がみられるようになりました。 その当時から一生懸命頑張ってくれた衛生士が今でも当院のチーフとしてやってくれています。 しかしながら、いくら頑張っても、また 「定期健診に来て下さいね」と勧めても しばらくすると来院しなくなる... なかなか患者さんはついてきてくれませんでした。 何年後かに戻ってきた患者さんの口の中は荒れ放題... 今のやり方ではだめだ、かといってどうしたらいいかわからないという 何かもんもんとした時代が約7年ほど続きました。 <歯医者は虫歯を治すところ> という定義が世の中全体にあることを 半ば絶望的な気持ちで眺めていた という感じだったかもしれません。 M: 予防に目覚めたきっかけを詳しく教えて下さい T: 「これじゃあいけない 何かがまちがっている」そう思いながら診療を続けていた頃、平成14年です。 はえてきたばかりの6歳臼歯に大きな虫歯を作っていたりあっちもこっちも虫歯だらけの子どもが立て続けに来院して来るのをみるにつけ 「もういやだ」 「治療、治療の繰り返しは決して患者さんのためになっていない」と 何か、憤りのようなものさえ感じるようになってきました。しかし、まだこれといった答えは見つかりません。ただ、 子どもの保護者に「このままじゃだめですよ」というだけでした。 それからの日々は、とにかくよさそうだと思える講演会、勉強会などに参加するようにしました。 何かじぶんのためになりそうな、これだ、というものに出会いたい一心でした。 予防に取り組む歯科医師たちが集まっていたヘルスケア歯科研究会に所属したのもその頃です。 そして訪れた大きな転機 それが 熊谷 崇 先生 との出会いになります。 それまでも熊谷先生の名前は知っていたのですが 「虫歯は削れば削るほど歯は悪くなる」という大胆な考えを打ち出している先生として、何となく 歯科界では 「 患者さんに誤解を与える人 」 という存在だと思われていたと思います。熊谷先生の話は衝撃的でした。 「 患者利益を考えて歯科医師として何をすべきか」 この考えで 既に予防の大切さを説き、実践している、その凄さを目の当たりにしたのです。 自身の診療所だけでなく、日本人の口腔内の健康について考えている人がいることに驚きました。 熊谷先生の言われる ・予防をベースにした治療が大事である ・予防にはリスク診断など、科学的な診断が不可欠である という確固たる説 まさに<これだ!>という気持ちでした。その後、私はまず、スタッフに予防宣言をしたのです。 [丸の内歯科医院は予防歯科をやっていく] と それが平成15年の3月だったと思います M: それからの道のりはいかがでしたか?どんな苦労がありましたか? T:とにかくすぐにでも行なうこと、それが 唾液検査でした 患者さん全員に個々の虫歯のなりやすさを検査することにしたのです。 初めの頃は僕が患者さんに説明し検査を始めました。検査は保険がききませんので自費になります。 患者さんには負担がかかりますが、納得していただきました。 それからまもなくでしたが、 熊谷先生が「予防を軸とする診療室を作る歯科医師を育てる」という目的で <オーラルフィジシャンセミナー> を山形県酒田市のご自身の診療所にて開催するということでした。 私はその第1期生として受講することにしたのです。 そこで<予防歯科>としての診療のノウハウを学んできました。 昨年のチームミーティングに参加した後のニュースでもその辺は詳しく書かれていますので、参照して下さい。 スタッフは初めの頃こそ <予防歯科をめざす>ということにとまどいがあったと思いますが 不思議と僕の真剣さが伝わり必死についてきてくれました。 ただ、これは漠然と目指すのではなく、 しっかりとシステムを取り入れなくてはならないことだったので、衛生士にとっては 業務が増える、 データの入力をしなくてはならない、など、煩わしいことが多くなり大変だったと思います。 でも、本当によくついてきてくれたなぁと思ってます。 とにかく、それからは今現在のような診療の流れを実践し、すべての患者さんが治療を終えた後もメインテナンスのために来院していただけるような形ができあがってきたのです。 M、現在の丸の内歯科医院の診療体制について満足度は?できていること、足りないことなどについても T:診療体制:システムは整っている と思います。ただ、このシステムがうまく機能するためにはスタッフの力が必要不可欠です。若い独身スタッフの集まりなので、結婚や、転居などで退職、ということになると 正直、非常に痛手です。 新人スタッフの教育は今後の大きな課題です。早く一人前になれるようにしないとですね。 それから、今の子どもたちに歯科衛生士になりたい!と思ってもらえるようになることも大切だと思っています。 この厳しい時代ですが、歯科衛生士はいつも不足していますからね。 M: 先日のアンケートでもメインテナンスが定着してきていることが分かりました。しかし、一方今世の中はかつてない不景気に見舞われています。 この時代の中でのメインテナンスを患者さんにご理解いただくためには今一度ちゃんとした説明が必要ではないでしょうか? T、大変難しい問題と言えます。 ただ、僕としては不況だからどうだ という考えはなく、その人の健康にとって大切だと思っているのでやっている これが僕の信念です。 初診の患者さんにはよく説明させていただいていますが、一通りの治療を終えて メインテナンスに移行する前に再度説明する必要はあると思います。 また、治療やメインテナンスが中断してしまう方もいるのですが、ほとんどの人が戻ってきてくれます。 完全に離れてしまった人に関してはそれはもう私が関与することは できないけれど、戻ってくれた人にはまたそれを機会にメインテナンスの重要性を話す という地道な努力が必要でしょうね。 M:ところで、ここ2〜3年の間にアメリカ ボストン大学、スウェーデン マルメ大学などへの海外研修に行かれていますね。今月にはドイツへの研修も控えているとのことですが、 海外の歯科事情を学んできていかがでしたか? このような海外研修はご自身の中でどう位置づけていますか? T:ワールドスタンダードを目指す!という意識です。 世界水準に則った歯科医療をやりたいと思っています。 もちろん外国の医療がすべていいわけじゃないけれど、どんなものなのか知りたいし、いいことは素直に学びたい。 そういった気持ちです。 今度のドイツでは 予防メインの研修ではないのですが、ドイツには保険医療制度もあるし、その辺もみてきたいと思っています。 M: 所属しているスタディグループのことなどについて教えて下さい。 T:「志歯の会」 これは富山医薬大(現、富山大)の口腔外科出身の歯科医師がベースとなっているグループです。 インプラント、矯正、口腔外科 など、 得意分野はさまざまで非常に雑多な集まりですが、そんないろいろな集まりであることがいい刺激になっています。 M: それでは最後にこれからの展望など。 T: 今までお話したことで十分、分かっていただけると思いますが、 これからも地道にやっていきます ということでしょうか(笑) M: どうもありがとうございました。 インタビュー は以前八ッ橋さんにも行なっているのですが ついつい 長丁場になってしまいます。 読んで下さった方もお疲れでしょうか? まずは 腕を上に挙げて 大きく深呼吸して下さい(笑) さすがに、院長へのインタビューは歯科医師歴25年... ということで まさに 歴史長大作! でした。 予防予防 とただ説いているのではなく 心底必要だと思い、やらなければ!という使命感のようなものに 突き動かされて 今の院長がある といえませんか。 いつもとても忙しい院長ですが、これからはご自身の健康も 気遣って、末永く診療を続けてほしいと思います。 では読んでくださった皆様 ありがとうございました。 #
by 418support
| 2014-11-20 16:41
| インタビュー
Q先日のニュースで予告した通り、今回は当院の衛生士のチーフ竹澤さんのインタビューの模様をお伝えします。 超超ロングインタビューとなっていますのでどうぞ楽な姿勢でお読み下さい! A 竹澤さん Q インタビュアー Q 簡単な自己紹介をよろしくお願いします A 衛生士歴21年の竹澤あゆみです 生まれも育ちも富山、地元南中の出身でここ丸の内歯科医院の界隈はよく自転車でうろうろしていました。 Q まず当たり前な質問から、衛生士になったきっかけは? A 高校3年の時、手に職をつけたいと思い衛生士学校を選択しました。県外には出たいと思っていて名古屋の学校に決めました。 推薦入学でしたから入るのは簡単でしたけど、それからは大変でした。 医療の現場独特の厳しさみたいなものをとても感じたと思います。 挫折しながらも何とか学校を卒業し、何とか衛生士資格も得ることができました。 Q 卒業後富山に戻ってきたのは? A う~ん、帰ってくるつもりがあったわけではないんですがね...(笑) Q 就職活動はどうだったんですか? A 学校では特にそういう就職活動をバックアップしてくれることはなかったですね、自分で探しなさいと言う感じでした。 でも、実習に行った先の院長が声をかけてくれて富山の歯科医院を紹介してくれました。 そこで面接を受けたりして、でも実際には欠員もなかったのでさらにそこからまた違う先生を紹介してもらって最初の歯科医院に入りました。 Q そこでの仕事はどうでしたか? A まぁ自分の中では下積み時代と思っています(笑) 20年以上前の話ですからね、当時は歯科衛生士と言っても先生の業務の補助が主で自分で考える衛生士業務というものではなかったですね。もちろんまだ新人でしたから自分なりに必死にやっていたし相当強気だったとは思いますが その後体調を崩したり、人間関係の面でもいろいろあり辞めて、別の歯科医院にパートで入ったりしました。 一生懸命やったものの歯科衛生士として何となくこれでいいのかな?という疑問は常に抱いていたと思います。 学生時代の教務主任に 「自分がこれだ!と思えるところじゃなければ働いちゃいけない!」と言われたことがどこかで常に引っかかっていたし、どこかに笑って仕事できるところがきっとあるはず」とも思っていました。 その頃知り合った人を通じてここ丸の内歯科医院で衛生士を募集していると紹介され、衛生士2年目の平成4年4月ここに就職しました。 Q 丸の内歯科医院に入ってみてどうでした?正直にお願いします! A ぶっちゃけ楽しかったですねぇ Q どんなところが? A 衛生士がやるべき業務がちゃんとありました。先生の治療サイドにつき、治療内容をきちんと把握することができました、そして次に自分が患者さんに何をすべきかということがみえてきたんです。 口の中の状態を見て、ブラッシング指導をしたり、歯石を取ったりというような。 それを求められていたし、自発的にすべきことが見えてきた。 とにかくカルテの内容をよくみました、患者さんの状態を把握して、理解したいという気持ちです。 カルテの内容が分かると保険診療の仕組みまで理解できるようになり、いろいろなことを覚える楽しさがありました。 Q その頃は先代と現院長が二人で診療を行っていました。竹澤さんは先代を知る唯一のスタッフですが、何か思い出などあったら教えて下さい。 A その頃、大先生(そう呼んでいました)はもう既に体調の事も考慮して午前中しか医院にいなかったんです、主に義歯の関係の治療をやっていました。 やっぱり今でも昔からの患者さんにはよく言われることですが、大先生といえば、あの喋りですねぇ。 治療中、患者さんは口を開けているというのにあれやこれやとよく話しかけていました。 今でも時々「大先生はこっちが口開けて喋れんがに話しかけてくっから何も喋れんでたまらんかったちゃ!!」と言われます。笑い話ですね。 今思い返しても大先生の話術は本当に素晴らしかったし親しみやすい雰囲気で話すので和気あいあいとしたいい診療室だったと思います。 きっと大先生はあんな時間を通して患者さんの口の中以外の情報を意図せずに収集していたんだなぁと思います。 それと、あの頃の時代の先生方がそうだったんでしょうが、技工もかなり自分でされていて、小さな補綴物(歯の詰め物、被せ物)は院内の技工室で大先生自ら作っていたので、患者さんがいない時など、よく大先生にくっついて技工の過程を見たりしました。 そこで本当にいろいろな話をしてもらいましたし、技工物がどうやってできるのか目の前で見ることができたのはホント楽しかった。 あとは診療室での姿です、患者さんと喋りながら義歯の調整をしている時の姿もすごく印象に残っていて、今でも時々思い出します。懐かしいです。 まだ知らないことが多かったので、丸の内歯科医院に入って、診療の内容、カルテ内容、衛生士としての業務、技工室の業務、と学ぶことが本当に多く楽しくて仕方なかったですね。。 Q 先代とのお別れを経験し、その後現院長の時代になっていくわけですが、その頃の業務はどんなものでしたか? まず、自分に後輩衛生士ができたということは大きかったです。 その頃、院長から今後、歯周病治療を積極的に行う方針だといわれました。 保険診療のパターンとして歯周治療の流れもできてきました。軽度の歯周病、重度の歯周病に対する治療の体系でPⅠ型、Ⅱ型 というものでした。 当時も患者さんの中には治療を要する歯周病の方が多くいました。今では当たり前にやっていますが、口の状態を記録するために口腔内カメラで撮影してスライドにするというデータ管理も始まりました。 歯周治療というのはまさに衛生士の分野の仕事、勉強もしたし、院長、スタッフと日常的に患者さんの治療計画、経過の話をそれこそ、ご飯を食べながらでもしていましたね。 そこでやはりブラッシング指導や歯石除去の大切さを患者さんに理解してもらえるよう頑張るのですが、いかんせんその頃は患者さんにそういう認識がない! ブラッシング指導のための染め出しをすれば怒られる、歯石を取ろうもんなら「そんなもん取らんでいい!!」と怒鳴られる始末。歯科衛生士という職業自体がまだ認知されていない時代ですからそれは苦労したし、スタッフもよく泣いていました。 そうやって悪戦苦闘しながらも歯周治療を進めていくと結果が出てくるようになりました。 患者さんの口の中の状態が徐々に改善していくのは衛生士として喜びでした。 とにかくやれば良くなる ということが励みになったし、その頃から定期健診を勧めていくようになりました。 よりよい指導の仕方、歯石除去の技術の向上にと勉強会、セミナーなども院長に勧められたものや自分で見つけたものに積極的に参加するようになりました。 患者さんの中にも歯石がついたらとってもらわないと、という意識が出てきたんだと思います。 メインテナンスの必要性を話し、半年後には来てくださいね、と促して、来院してもらう。 でも、それは今考えれば歯周治療に傾いた見方だったので、悪いところばかりを見るという盲点がありました。 Q それはどういうことですか? A ブラッシングができている人、口の中がキレイな人にはやるべきことがないと感じていました。そのくせ来院せずに悪くなってしまったひとには「来なかったから悪くなった」というように思っていたと思います。 その頃、過去に歯周治療をやった後、久々に来院された患者さんで重度の歯周病の状態になっていた方がいました。前歯がぐらついていて、ショックでした。 これはおかしい、このような歯周病を起こしている原因を調べなくてはということで歯周病菌の検査も始まりました。 とにかくメインテナンスが大切だといことは明白なのに、結局歯周病に傾いた考えですから「虫歯」に関しては甘かったと思います。 痛くなったら、どこか都合が悪くなったら来て下さい。 虫歯にならないようにするには甘いものを食べないようにというようなアドバイスだったかもしれません。 フッ素塗布が広まってきた頃だったので希望者に実施していましたが、そこで「プラーク(歯垢)があったらフッ素を塗る意味はないな」と感じるようになりました。 歯ブラシによるブラッシングだけではだめだ、歯ブラシできれいになる部分、ならない部分があるな、と多くの方の口の中を見てきて思っていました。手探りで、試行錯誤の時代ですね。 Q その頃、院長が予防を志すきっかけとなった虫歯だらけの子どもたちの来院が相次ぎました。そして平成15年3月忘れもしない院長の予防宣言がありましたね。衛生士歴も10年を超えた頃です A 突然でした(笑) だいたいいつも院長は自分でこつこつ地道にリサーチしつつ十分自分の中では確固たるものになってから急にスタッフに宣言します。 過去に口腔内写真を患者さん全員に対して撮影するよう義務づけたのも、実習生を受け入れるようになったのもこの予防宣言も全部!(笑) ただ院長があちこち勉強会に足を運んでいたのは知っていたし、何か模索していることは分かっていました。だから突然ではあったけれど、来たかといった感じでもありました。 でもそこで宣言されたのは「患者さん全員に唾液検査をする」というもので正直 「え?唾液検査?何?」という感じでした。 患者さん個々の虫歯のリスクを知るために必要だというのです。唾液検査は自費でしたから当然患者さんの負担になる。 それから院長は自ら一人一人の患者さんに時間をかけて説明して唾液検査を行って行きました。 私たちスタッフにはとにかく次のセミナーに参加してほしい、行けば分かると言われ、東京で行われたセミナーにスタッフ全員で参加しました。 Q セミナーはいかがでした? A わが国で予防型歯科診療の道を開いた山形県酒田市の開業医熊谷崇先生によるセミナーでした。びっくりしましたねぇ。 「真の患者さんの利益になる診療をする」この信念で診療をして来られた先生の話はとても説得力があり、また同じ会場にはもう既に熊谷先生と同じ形(メディカルトリートモデル:MTM)で診療を始めている先生方が大勢いたことにも驚きでした。 でも一方で自分たちのやってきたことは間違ってはいなかった、足りなかっただけだ。大丈夫いける!とも思いました。おそらく院長がそう思ったように、私も同じ気持ちだったと思います。 Q MTM というのは分かりやすく言うとどんな診療体制といえますか? A これはMTMを説明する時によく言ってることなんですが、 糖尿病らしき人に何も検査しないで「あなたは糖尿病です」と診断できるか?という考えが根本と言えます。詳しいことはこのホームページ内のご案内のところで紹介している診療の流れを見ていただければ分かるかと思います。 MTMとはその人その人の虫歯や歯周病のリスクを正確に分析するために、手順に沿った検査、診査を行い診断し、必要最小限の処置を行い、メインテナンスを続けるという治療体系ですね。 これまでやってきたことにちゃんとしたシステムをつくれば熊谷先生と同じような「予防型歯科医院」ができる! 熊谷先生から「歯科衛生士がいなければ歯科医院は成り立たない!」と言われたことがすごく嬉しかった。 とにかくプレゼンテーションがすごくて、あれを聞いてやる気にならない歯科衛生士じゃしょうがないでしょ!という感じです。 何より大事なのは院長の気持ち、方針、「患者さんのために」という本当の理念。 これが院長にあったからこそできることだと思いました。 Q 患者さんのために というのはずばり? A 患者さんの生涯を通じてお口の健康を守る、自分の歯を残すお手伝いをするということです Q 丸の内歯科医院もそこからMTMという診療体制を整える作業の始まりですね。 院長が熊谷先生のもとでオーラルフィジシャンのコースを受講してから今日まで、さまざまなことがありました。 MTMの確立のためにスタッフ一丸となって学ぶ中、ISOの認証取得もあったりしてこの9年ほどはめまぐるしい日々だったと思います。現在、メインテナンスの患者さんもある程度定着しているように思いますが、このMTMのメリット、デメリットはどう考えますか? A メリット、デメリットですか? まずメリットは 患者さんと長くおつき合いできることです。 プラスに向けての話ができる。 そうでなければ悪いところを治すということに傾いた「マイナスの話」ばかりになってしまう。少しでも良い状態で、自分の歯を残すためというそのための診療体制ですからね 時々患者さんに 「もし私が寝たきりになったらどうしたらいい?」と聞かれますが「長い間メインテナンスに通っていればそう簡単に悪くならないよ」それに「訪問するから大丈夫!」と答えています!! デメリットは 「時間がかかる!!」 これは初診で来られて最後メインテナンスに移行できるまでに時間がかかるということです 自分の歯科医院を紹介する時「めんどくさい歯医者だよ!」と言ってしまいます(笑) でも、「しっかりやるよ」「来たら分かるよ」「リスクをみなければ分からないから」 と言います。そこには絶対説得力があるはず。 今メインテナンスを受け持って、多くの患者さんの口の中を診ていると残念ながら「悪いもんは悪い」ということも分かるようになりました。その場合は残る歯をできるだけ長く大切にしましょうという方針になります。 患者さんは「今までちゃんと治療すれば良かった」という思いを抱かれると思います。 だからこそ、今度はその方の家族、特に小さなお子さんやお孫さんに早めに対処しなくてはだめなんだという指導もしていくことができます。 そんなケースがとても多いです。 Q 予防は軌道に乗っていますか? A 基本はできていると思うんですが、今後中身をしっかりみていかなければ!と思っています。 まだまだ足りないな、と。肉付けが必要というか、進化しなくては!というね。 そのためにどうしなくちゃいけないのか?というと、自分たちがもっともっといろんなことを学ばなければと思っています。 Q 学ぶといえば、現在「ハイジア」という勉強会に所属していますが、この会はどういうものですか? A 熊谷先生のオーラルフィジシャンセミナーから始まった、オーラルフィジシャンの先生の元で働く歯科衛生士たちの勉強会です。 目標は高く「世界水準の歯科衛生士」を目指しています。 長期にわたる症例を多く持って、データをきちんと管理している衛生士、プロフェッショナルとして学び続ける衛生士。 はここで出会った「ハイジア」の会長の徳本さんのことを私はすごく尊敬しています。 私にはこれまで先輩衛生士という人がほとんどいませんでした。 徳本さんの人柄、これまでの衛生士としての臨床経験、ご自身で活動されてきたこと、学ぶ姿勢全てに対して。この人に認められたい!と思えた人ですね。 自分にとっての目標の先輩衛生士の存在があるのは大事だと思います。 Q さて今丸の内歯科医院は年に3回実習生を受け入れていますが、それ以外に学生への講義なども任されていますね。これからの歯科界を担っていく学生への指導にはどういう気持ちで取り組んでいますか? A そうですねぇ...指導するという使命感はあります。でもおおげさなものではなく学生が今後ふとした時に私のことを「あんな歯科衛生士がいたなぁ」と思い出してくれたらいいなと思っています。 Q では最後にちょっと私生活のお話を聞かせてください。もう長いこと衛生士であると同時に冬場はスキーの指導員として活動されていますね。また、これからの季節、バイクでツーリングにも行っているようですが、これらに対しての思いなどは? A これはもう私にとってなくてはならないものです! スキーにしろバイクにしろそこで出会った人たちは私にとってかけがえのない人ばかり。 そして、スキーでは大勢の子どもたちを指導していますが、そこで得たものが衛生士としての自分にもずいぶん役立っているなぁと思っています。 竹澤さんどうもありがとうございました。 みなさま、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。 久々のインタビューだったのでついつい気合いが入ってしまいました(笑) 丸の内歯科ニュースでは過去にも院長を始め、スタッフへのインタビューを実施していますが、今回は丸ノ内歯科医院と共に歩んできた竹澤さんの衛生士としての長い歴史を振り返るとても有意義なインタビューになったのではと思いますがいかかだったでしょうか? 試行錯誤する長い時間がまた人に深みと強みを与えるのだな、と思えるとても心に残るインタビューでした。 院長と共に歩んで来たこれまでの長い経験に裏付けされた衛生士としての自信と、常に疑問を持ち続けている真剣さがある竹澤さん、そんな彼女のメインテナンスルームはあたたかさと厳しさが同居するとても良い空間になっているように思います。 かつて「自分がこれだ!と思えるところじゃなければ働いちゃいけない!」と教務に言われたことは今ここで実践できているのではないでしょうか? この先もずっと当院を支えていって下さい! また今後不定期になるとは思いますがスタッフ、また時には患者さんへのインタビューなど行っていきたいと思います。 これからも丸の内歯科ニュース要チェックでお願いします!! #
by 418support
| 2014-11-20 15:50
| インタビュー
![]() すっかり秋めいてきました。 街路樹も色づき、まちなかを散歩するのも楽しい季節です。 受付カウンターのお馴染みの飾りも季節感を先取りしています。笑 さて、きょうはちょっと真面目な話をしようと思います。 みなさま、NHKの人気番組、<プロフェッショナル 仕事の流儀> はご覧になっていますか? 先日、10月27日に放送された 【 ぶれない志、革命の歯科医療 熊谷崇】は実に必見の回でした。 山形県酒田市の開業医である1人の歯科医師の35年に及ぶ予防歯科医療の歩みは多くの人々の胸に響いたと思います。 酒田市の人口10万の内1割の方が通っていると言われる熊谷先生の歯科医院 <日吉歯科診療所>
番組の冒頭シーン、この診療所でメインテナンスを受けている高齢者が笑顔でスルメを咬みちぎり、リンゴをまるかじりする様に衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか? それはまるでこの歯科医師のこれまでとこの先を物語っているかのような説得力のあるシーンだったと思います。 35年… その予防歯科の歩みは順風満帆とは言い難く、時に世間からの反発もかい、孤軍奮闘の年月だったと思います。 歯医者は歯を治療するところ、痛いところ、悪いところをなるべく早く治療するのが良い歯医者、という世間の常識に異を唱えるとは、歯科界の中でも異端者扱いもされたことでしょう。 予防歯科ではまず患者さんにさっさと治すことが間違いである、ということを納得してもらうところから始まりますが、もちろん簡単には理解してもらえません。相当な苦労が伺えます。 放送終了後、何人もの患者さんから 『この間のプロフェッショナル、見たんだけど、あれって、丸の内さんと一緒だね』とか 『プロフェッショナル、見ましたよ。あぁ、丸の内歯科のやってることって、これだったんだ』など嬉しい言葉をたくさんかけて頂きました。 その通りです。 丸の内歯科ニュースやFacebookでも度々報告している酒田市への研修というのは、他でもありません、 この熊谷崇先生主催のセミナーのことなのです。 おさらいになりますが、 当院が11年前から始めた予防型歯科医院作りの第一歩は、院長が治療を繰り返しても患者さんのためにならないことに疑問を感じ、打ち立てた診療方針を全うするために自ら熊谷崇先生の元へ研修に行ったことです。 当時、熊谷先生は20年以上予防歯科の実績を積み、既に成果をあげていました。 そして、全国の歯科医師に予防型診療の必要性を説き、そのノウハウを徹底的に指導する活動を始められていました。 口腔内を総合的に診断、治療することのできる歯科医師【オーラルフィジシャン】を全国あちこちに育成し、どこの地でも予防型診療を受けられるように、活動されたのです。 院長はそのオーラルフィジシャンセミナーの第一期生になります。 歯科医療は予防が大事だと国の方針は既にありました。8020運動が叫ばれたのももうずいぶん昔からのことです。 しかしながら具体的にどのようにすれば治療中心の歯科医療から予防中心になれるのか、そのノウハウは浸透しておらず、院長は長い間、暗中模索の日々を過ごしたと言います。 そんな中での熊谷先生との出会いは衝撃的で、感動的だったと、このあたりのことは過去の記事 2009年3月の【院長インタビュー】の中で熱く語っています。 そして予防型診療を実践するためになくてはならない存在の衛生士、とりわけ院長と共に長年歩んで来たチーフ衛生士竹沢のインタビューも合わせて改めて読んで頂きたいと思います。 当院もまた確固たる信念で予防歯科を志したことがお分かりいただけるのではないでしょうか。 熊谷先生との出会いからまもなく12年、 毎年酒田市で行われるオーラルフィジシャンチームミーティングという研修会にスタッフ全員で参加しています。 予防が大事という言葉だけが先行して本当の予防が浸透しているとは言えない世の中ですが、この場に行くと同じ志のチームがそれぞれの地で頑張っていることを確認し、さらに努力をしなければ、と思えるのです。 今回の番組を観て、 ぶれない志、それを貫く強い気持ちの根底は、患者さんの真の健康のためであるという当たり前といえば当たり前のことを、今また深く考えることができました。 丸の内歯科医院はこれまでも、この先も大きな存在である熊谷先生に少しでも近づけるよう、まだ予防歴12年めのペーペーですが、真の歯科診療を全うすべく努力を続けるのみ!と決意を新たにしました。 尚、番組を見逃してしまった、もう一度観たい!という方にはDVDを貸し出しますので受付までお気軽に申し出て下さい。また 院長、竹沢さんのインタビュー記事は待合室に再び掲示し、近日中にこのサイトでも過去記事として再投稿しますので是非お読み下さい(どちらのインタビューも長いです) ![]() ![]() さてさて、もうひとつ! 14歳の挑戦 の感謝状が届きました。 自分の夢は歯科衛生士!とはっきり宣言する中学生の何と頼もしいこと。 長くメインテナンスに通っていて是非ここで14歳の挑戦をしたい!と自ら希望して来てくれた中学生。 この気持ちを大切に将来、丸の内歯科医院の衛生士たちのようなカッコイイ衛生士目指して頑張れ!! #
by 418support
| 2014-11-06 12:07
| ニュース
![]() 9月に入り、学生達は夏休み気分が抜けず困っているところでしょうか? 今年の夏は例年以上に大雨が多かったようで、各地での大きな被害のニュースが度々報道され、胸がいたみます。 富山はいつも被害が少なく安心、安全な県というイメージが強くありますが、災害はいつ、どこに起こるか分かりません。もしもの時のことを家族や地域住民の間でよく話し合っておく必要があります。 さて、朝夕の風も爽やかに感じられるこの頃季節は秋に変わろうとしています(が、鉢植えの中に朝顔の蕾が!きっと去年の種が土に混ざっていたんですね) ![]() 可愛いですよね。 平安時代から続いていると言われるこのお月見ですが、昔は月の満ち欠けにより月日を知り、農事を行ったようで、十五夜の満月の夜は祭儀の行われる大切な節目でもあったようです。 今年は本日、9/8がこの日にあたり、明日にはスーパームーンが見られるということでしたが、果たしてみなさんは綺麗な月を見ることができたでしょうか? 私もきょうは存分に拝ませていただきました。 ![]() 今の季節は空気が乾燥し、空は澄み渡り、より月が綺麗に見えるようで、外に出て鑑賞するのにも過ごしやすい気候です。 満月に限らず、空を見上げて月を拝む、そんな習慣がつくのは素敵なことですね。神秘な月を愛でるのは人々の心を落ち着かせてくれることでしょう。 さて、 このニュース担当者である私はこれまで事務や裏方仕事ばかりだったのですが、最近はスタッフ不足解消のため、受付にいることが多くなりました。 受付にいると日々様々な患者さんたちと接することができ、楽しくお仕事させて頂いております。 長く定期健診に通われている方々はもちろん、久々に歯科医院に通っている方々、また初めての歯科医院だという子どもたち、出産したばかりの方、時にはママと一緒に来た赤ちゃんなどなど…。 定期健診や歯周治療などで来院される方と衛生士さんのやりとりを間近で観察させて頂く機会も多く、そんな様子はとても勉強になります。 また久々の歯科治療で来院された方の中には歯科医院に通いたくてもなかなか通えなかったジレンマのようなものを感じることがあります。 生きていると自分のことだけではなく、家族や身近な人にも様々なことが起こり、自分のことが後回しになることもあるでしょう。また歯科治療自体に恐怖があって通えなかった、など人それぞれの 事情があるようです。 そんな方々が今、歯科医院に足を運んでいただいていることを大切に、院長やスタッフによる丁寧な説明や治療、予防処置、これらをきっかけに歯科医院が身近で、通いやすい所になれたら良いなぁと思うのです。 〜*〜* 休診日 矯正治療日のお知らせ *〜*〜 9/13 9/24 休診 9/26 27 矯正治療日 10/3 午前中まで診療〜午後研修 10/4 研修のため休診 2014.9.8 #
by 418support
| 2014-09-05 16:25
| ニュース
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