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雪の少ない冬も終わりあっという間に3月になりました。 このホームページも開設して丸1年経ちます。(丸の内歯科ニュースは ホームページ開設前から発信していましたので2年経ちます) ニュース担当者としましては、<毎月発信>を心がけてきましたが うまく作業が進まず、不定期になってしまうこともしばしば...。 これからの目標としては定期的発信を基本に 内容を熟慮し、読みごたえのあるものをつくりたいと思っています。 特に画像掲載についてはまだまだ未熟なのでその辺も勉強していきたいと思っています。 では、ホームページ開設1周年を記念しまして満を持して <院長へのインタビュー> を行ないましたのでその様子を掲載します! 院長はT インタビュアーはM M: まずは簡単な略歴を紹介して下さい T: 昭和58年 大学の歯学部を卒業してから横浜市立大学医学部病院の口腔外科に入局しました。 2年後そこから出向という形で船員保険病院に1年間いました。 その後、横浜市大病院に戻ってきてまもなく父が心筋梗塞で倒れ、富山に帰ってきました。 結局そのまま横浜には戻れず父の代わりに丸の内歯科医院での診療をしました。 幸い父も現場復帰が可能になりましたが、半日だけ診療することになったので 私は富山医科薬科大学付属病院(現富山大学附属病院)の口腔外科に入局しながら 週に2回程は丸の内歯科医院の診療を手伝うというスタンスでやっていました。 しかし、平成4年父の体力も限界だろうと察知し医薬大は退職し父と一緒に診療しはじめました。 平成6年末に父が亡くなってからは私が院長となり現在に至ります。 M: 先代の跡継ぎとして歯科医師になったのに、最初の就職先として大学病院の口腔外科に入局したのはどうしてですか? T: 父が開業医だったからといってすんなりそのままレールに乗せられるのは嫌だなと思ったことも理由の一つですが歯科の枠にとどまらず医学的基盤をもった歯科医師になりたいと思っていました。 就職するにあたってはいろんな大学を見て回りましたが、当時横浜市大の口腔外科は major surgeryといわれるような 大きな手術をすることで知られたところで、活気に溢れた自由な雰囲気に惹かれました。 M: 口腔外科での実際の業務はどんなものだったのですか?また、そこで得たもの、学んだことなども聞かせて下さい T: 横浜市大では口腔癌の手術を積極的に行っていて中でも、ただ悪いところを切除するだけでなく、例えば、失った顎や舌などをご本人の他の筋肉、皮膚などを使って補う<再建術>などで高い技術をもっていました。 そんなトップレベルの治療に自分も関わることができ細かい治療である歯科の分野を大きく離れ<医療の現場>にどっぷりと浸かった日々でした。 その後の富山医薬大では、まず、なんと言っても口腔外科学講座 古田教授 との出会いです。 古田教授はとにかくものすごくバイタリティがある方で仕事はバリバリにこなしスポーツはやる、酒は飲む、歌も好き 私たち部下を本当によく飲みに連れていってくれました。 やんちゃな部分があってとても大勢の仲間に囲まれているそんな方です。 県内の病院に口腔外科はあるのですが、大きな手術ができるところは、医薬大だけでしたから、県内のあちこちから 患者さんは集中しましたし、横浜市大同様、とても忙しい日々でした。 たまたまなんですが、横浜市大の助教授だった小野先生が古田教授の先輩だったこともあり時々手術の手伝いに来られました。 横浜を去ってからも横浜時代の先生との接触がずっと続いたことは当時の私にはとても心強いことでした。 とにかくいずれの病院も大きな手術が多かったし、重症な患者さんを抱えていたりすると非常に忙しく、また当直などもありましたから、休む暇もないほどでしたが、充実していました。 また、ターミナルケア(終末期医療)に触れたことも自分の中では非常に大きいことです。死を迎える患者さんたちとの関わりの中で「生命の尊厳」ということを 深く学ぶことができた、これは本当に貴重な体験でした。 M: 先代の病気がきっかけとなって、数年間先代と共に診療していた時期がありますが、振り返ってみてどんなものでしたか? T: 親子2代で診療をするというのはそう珍しいことではないのですが、うまくいかないことが多いようです。 私の場合は短い期間だったけれど、有意義な時間だったな...と思います。 父の診療姿勢は知識や技術がどうのこうのというよりも患者さんとの接し方、患者さんの中に入って、とけこんで治療している姿これは私が今でも遠く及ばない部分だなぁと思います。 また父が晩年、「これからは<歯周病治療>が大事になっていく」と言ってたことがやがて私の目指す道のヒントになっていたな と思います。 父との診療は全体的に、うまくやれたと思うし今思えば楽しかった。 初めの頃は患者さんから「大先生に診てもらいたい」と言われることもあって私も2代目の辛さを存分に(?)味わいました。 でも、父が時々不整脈で入院したりすると否応なく私だけの診療になるし、退院しても次第に仕事を任せてくれるようになっていき段々患者さんとうまくやっていけるようになったと思います。 父から診療をする上で何かを教わるということはほとんどなかったけれど、父が亡くなってから治療のことだけに限らず、いろんな節目、節目で 「 この場合父ならどうするだろうか」 と考えることはあります。 M: 開業医となってからの診療に対する気持ちの変化は現在まで、どのように変わってきましたか? 分かりやすく教えて下さい。 T: 初期(平成4年頃〜)はやはり目指していた口腔外科を途中で辞めて入ったということで気持ちの上ではずいぶんくさくさしたものがあったなぁと思います。 しかし、その中で診療を続けていく内に、偉そうな言い方ですが、段々、地域の中の歯科医療というものになじんでいきました。父ひとりでやっていた時代は歯科衛生士はいなかったのですが、私が主になって診療するようになってからは、歯科衛生士を雇い少しづつ<歯周病治療>に取り組むようになりました。 歯磨き指導をしたり、歯ぐきの検査、歯石の除去を行なって、経過を写真に残す...というような形で治療し始めたということです。 平成6年の末に父が亡くなり、私が院長となってからは「この丸の内歯科医院でやっていくのだ」という肝もすわって より一層本格的な歯周病治療に取り組むようになりました。 それまでの歯科では、歯周病治療をする という意識は本当に少なかった時代ですから患者さんへの説明にも苦労しました。 治療は患者さん本人の自覚、根気が必要でしたから、歯科衛生士も熱心に患者さんを説得し本当に地道にブラッシング指導をし歯ぐきの検査をし、口腔内の写真を撮ってはスライドにして経過を残す。 そして、患者さんに説明し,また治療をするそんな努力が実ってか患者さんの状態にもずいぶん改善がみられるようになりました。 その当時から一生懸命頑張ってくれた衛生士が今でも当院のチーフとしてやってくれています。 しかしながら、いくら頑張っても、また 「定期健診に来て下さいね」と勧めても しばらくすると来院しなくなる... なかなか患者さんはついてきてくれませんでした。 何年後かに戻ってきた患者さんの口の中は荒れ放題... 今のやり方ではだめだ、かといってどうしたらいいかわからないという 何かもんもんとした時代が約7年ほど続きました。 <歯医者は虫歯を治すところ> という定義が世の中全体にあることを 半ば絶望的な気持ちで眺めていた という感じだったかもしれません。 M: 予防に目覚めたきっかけを詳しく教えて下さい T: 「これじゃあいけない 何かがまちがっている」そう思いながら診療を続けていた頃、平成14年です。 はえてきたばかりの6歳臼歯に大きな虫歯を作っていたりあっちもこっちも虫歯だらけの子どもが立て続けに来院して来るのをみるにつけ 「もういやだ」 「治療、治療の繰り返しは決して患者さんのためになっていない」と 何か、憤りのようなものさえ感じるようになってきました。しかし、まだこれといった答えは見つかりません。ただ、 子どもの保護者に「このままじゃだめですよ」というだけでした。 それからの日々は、とにかくよさそうだと思える講演会、勉強会などに参加するようにしました。 何かじぶんのためになりそうな、これだ、というものに出会いたい一心でした。 予防に取り組む歯科医師たちが集まっていたヘルスケア歯科研究会に所属したのもその頃です。 そして訪れた大きな転機 それが 熊谷 崇 先生 との出会いになります。 それまでも熊谷先生の名前は知っていたのですが 「虫歯は削れば削るほど歯は悪くなる」という大胆な考えを打ち出している先生として、何となく 歯科界では 「 患者さんに誤解を与える人 」 という存在だと思われていたと思います。熊谷先生の話は衝撃的でした。 「 患者利益を考えて歯科医師として何をすべきか」 この考えで 既に予防の大切さを説き、実践している、その凄さを目の当たりにしたのです。 自身の診療所だけでなく、日本人の口腔内の健康について考えている人がいることに驚きました。 熊谷先生の言われる ・予防をベースにした治療が大事である ・予防にはリスク診断など、科学的な診断が不可欠である という確固たる説 まさに<これだ!>という気持ちでした。その後、私はまず、スタッフに予防宣言をしたのです。 [丸の内歯科医院は予防歯科をやっていく] と それが平成15年の3月だったと思います M: それからの道のりはいかがでしたか?どんな苦労がありましたか? T:とにかくすぐにでも行なうこと、それが 唾液検査でした 患者さん全員に個々の虫歯のなりやすさを検査することにしたのです。 初めの頃は僕が患者さんに説明し検査を始めました。検査は保険がききませんので自費になります。 患者さんには負担がかかりますが、納得していただきました。 それからまもなくでしたが、 熊谷先生が「予防を軸とする診療室を作る歯科医師を育てる」という目的で <オーラルフィジシャンセミナー> を山形県酒田市のご自身の診療所にて開催するということでした。 私はその第1期生として受講することにしたのです。 そこで<予防歯科>としての診療のノウハウを学んできました。 昨年のチームミーティングに参加した後のニュースでもその辺は詳しく書かれていますので、参照して下さい。 スタッフは初めの頃こそ <予防歯科をめざす>ということにとまどいがあったと思いますが 不思議と僕の真剣さが伝わり必死についてきてくれました。 ただ、これは漠然と目指すのではなく、 しっかりとシステムを取り入れなくてはならないことだったので、衛生士にとっては 業務が増える、 データの入力をしなくてはならない、など、煩わしいことが多くなり大変だったと思います。 でも、本当によくついてきてくれたなぁと思ってます。 とにかく、それからは今現在のような診療の流れを実践し、すべての患者さんが治療を終えた後もメインテナンスのために来院していただけるような形ができあがってきたのです。 M、現在の丸の内歯科医院の診療体制について満足度は?できていること、足りないことなどについても T:診療体制:システムは整っている と思います。ただ、このシステムがうまく機能するためにはスタッフの力が必要不可欠です。若い独身スタッフの集まりなので、結婚や、転居などで退職、ということになると 正直、非常に痛手です。 新人スタッフの教育は今後の大きな課題です。早く一人前になれるようにしないとですね。 それから、今の子どもたちに歯科衛生士になりたい!と思ってもらえるようになることも大切だと思っています。 この厳しい時代ですが、歯科衛生士はいつも不足していますからね。 M: 先日のアンケートでもメインテナンスが定着してきていることが分かりました。しかし、一方今世の中はかつてない不景気に見舞われています。 この時代の中でのメインテナンスを患者さんにご理解いただくためには今一度ちゃんとした説明が必要ではないでしょうか? T、大変難しい問題と言えます。 ただ、僕としては不況だからどうだ という考えはなく、その人の健康にとって大切だと思っているのでやっている これが僕の信念です。 初診の患者さんにはよく説明させていただいていますが、一通りの治療を終えて メインテナンスに移行する前に再度説明する必要はあると思います。 また、治療やメインテナンスが中断してしまう方もいるのですが、ほとんどの人が戻ってきてくれます。 完全に離れてしまった人に関してはそれはもう私が関与することは できないけれど、戻ってくれた人にはまたそれを機会にメインテナンスの重要性を話す という地道な努力が必要でしょうね。 M:ところで、ここ2〜3年の間にアメリカ ボストン大学、スウェーデン マルメ大学などへの海外研修に行かれていますね。今月にはドイツへの研修も控えているとのことですが、 海外の歯科事情を学んできていかがでしたか? このような海外研修はご自身の中でどう位置づけていますか? T:ワールドスタンダードを目指す!という意識です。 世界水準に則った歯科医療をやりたいと思っています。 もちろん外国の医療がすべていいわけじゃないけれど、どんなものなのか知りたいし、いいことは素直に学びたい。 そういった気持ちです。 今度のドイツでは 予防メインの研修ではないのですが、ドイツには保険医療制度もあるし、その辺もみてきたいと思っています。 M: 所属しているスタディグループのことなどについて教えて下さい。 T:「志歯の会」 これは富山医薬大(現、富山大)の口腔外科出身の歯科医師がベースとなっているグループです。 インプラント、矯正、口腔外科 など、 得意分野はさまざまで非常に雑多な集まりですが、そんないろいろな集まりであることがいい刺激になっています。 M: それでは最後にこれからの展望など。 T: 今までお話したことで十分、分かっていただけると思いますが、 これからも地道にやっていきます ということでしょうか(笑) M: どうもありがとうございました。 インタビュー は以前八ッ橋さんにも行なっているのですが ついつい 長丁場になってしまいます。 読んで下さった方もお疲れでしょうか? まずは 腕を上に挙げて 大きく深呼吸して下さい(笑) さすがに、院長へのインタビューは歯科医師歴25年... ということで まさに 歴史長大作! でした。 予防予防 とただ説いているのではなく 心底必要だと思い、やらなければ!という使命感のようなものに 突き動かされて 今の院長がある といえませんか。 いつもとても忙しい院長ですが、これからはご自身の健康も 気遣って、末永く診療を続けてほしいと思います。 では読んでくださった皆様 ありがとうございました。
by 418support
| 2014-11-20 16:41
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