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Q先日のニュースで予告した通り、今回は当院の衛生士のチーフ竹澤さんのインタビューの模様をお伝えします。 超超ロングインタビューとなっていますのでどうぞ楽な姿勢でお読み下さい! A 竹澤さん Q インタビュアー Q 簡単な自己紹介をよろしくお願いします A 衛生士歴21年の竹澤あゆみです 生まれも育ちも富山、地元南中の出身でここ丸の内歯科医院の界隈はよく自転車でうろうろしていました。 Q まず当たり前な質問から、衛生士になったきっかけは? A 高校3年の時、手に職をつけたいと思い衛生士学校を選択しました。県外には出たいと思っていて名古屋の学校に決めました。 推薦入学でしたから入るのは簡単でしたけど、それからは大変でした。 医療の現場独特の厳しさみたいなものをとても感じたと思います。 挫折しながらも何とか学校を卒業し、何とか衛生士資格も得ることができました。 Q 卒業後富山に戻ってきたのは? A う~ん、帰ってくるつもりがあったわけではないんですがね...(笑) Q 就職活動はどうだったんですか? A 学校では特にそういう就職活動をバックアップしてくれることはなかったですね、自分で探しなさいと言う感じでした。 でも、実習に行った先の院長が声をかけてくれて富山の歯科医院を紹介してくれました。 そこで面接を受けたりして、でも実際には欠員もなかったのでさらにそこからまた違う先生を紹介してもらって最初の歯科医院に入りました。 Q そこでの仕事はどうでしたか? A まぁ自分の中では下積み時代と思っています(笑) 20年以上前の話ですからね、当時は歯科衛生士と言っても先生の業務の補助が主で自分で考える衛生士業務というものではなかったですね。もちろんまだ新人でしたから自分なりに必死にやっていたし相当強気だったとは思いますが その後体調を崩したり、人間関係の面でもいろいろあり辞めて、別の歯科医院にパートで入ったりしました。 一生懸命やったものの歯科衛生士として何となくこれでいいのかな?という疑問は常に抱いていたと思います。 学生時代の教務主任に 「自分がこれだ!と思えるところじゃなければ働いちゃいけない!」と言われたことがどこかで常に引っかかっていたし、どこかに笑って仕事できるところがきっとあるはず」とも思っていました。 その頃知り合った人を通じてここ丸の内歯科医院で衛生士を募集していると紹介され、衛生士2年目の平成4年4月ここに就職しました。 Q 丸の内歯科医院に入ってみてどうでした?正直にお願いします! A ぶっちゃけ楽しかったですねぇ Q どんなところが? A 衛生士がやるべき業務がちゃんとありました。先生の治療サイドにつき、治療内容をきちんと把握することができました、そして次に自分が患者さんに何をすべきかということがみえてきたんです。 口の中の状態を見て、ブラッシング指導をしたり、歯石を取ったりというような。 それを求められていたし、自発的にすべきことが見えてきた。 とにかくカルテの内容をよくみました、患者さんの状態を把握して、理解したいという気持ちです。 カルテの内容が分かると保険診療の仕組みまで理解できるようになり、いろいろなことを覚える楽しさがありました。 Q その頃は先代と現院長が二人で診療を行っていました。竹澤さんは先代を知る唯一のスタッフですが、何か思い出などあったら教えて下さい。 A その頃、大先生(そう呼んでいました)はもう既に体調の事も考慮して午前中しか医院にいなかったんです、主に義歯の関係の治療をやっていました。 やっぱり今でも昔からの患者さんにはよく言われることですが、大先生といえば、あの喋りですねぇ。 治療中、患者さんは口を開けているというのにあれやこれやとよく話しかけていました。 今でも時々「大先生はこっちが口開けて喋れんがに話しかけてくっから何も喋れんでたまらんかったちゃ!!」と言われます。笑い話ですね。 今思い返しても大先生の話術は本当に素晴らしかったし親しみやすい雰囲気で話すので和気あいあいとしたいい診療室だったと思います。 きっと大先生はあんな時間を通して患者さんの口の中以外の情報を意図せずに収集していたんだなぁと思います。 それと、あの頃の時代の先生方がそうだったんでしょうが、技工もかなり自分でされていて、小さな補綴物(歯の詰め物、被せ物)は院内の技工室で大先生自ら作っていたので、患者さんがいない時など、よく大先生にくっついて技工の過程を見たりしました。 そこで本当にいろいろな話をしてもらいましたし、技工物がどうやってできるのか目の前で見ることができたのはホント楽しかった。 あとは診療室での姿です、患者さんと喋りながら義歯の調整をしている時の姿もすごく印象に残っていて、今でも時々思い出します。懐かしいです。 まだ知らないことが多かったので、丸の内歯科医院に入って、診療の内容、カルテ内容、衛生士としての業務、技工室の業務、と学ぶことが本当に多く楽しくて仕方なかったですね。。 Q 先代とのお別れを経験し、その後現院長の時代になっていくわけですが、その頃の業務はどんなものでしたか? まず、自分に後輩衛生士ができたということは大きかったです。 その頃、院長から今後、歯周病治療を積極的に行う方針だといわれました。 保険診療のパターンとして歯周治療の流れもできてきました。軽度の歯周病、重度の歯周病に対する治療の体系でPⅠ型、Ⅱ型 というものでした。 当時も患者さんの中には治療を要する歯周病の方が多くいました。今では当たり前にやっていますが、口の状態を記録するために口腔内カメラで撮影してスライドにするというデータ管理も始まりました。 歯周治療というのはまさに衛生士の分野の仕事、勉強もしたし、院長、スタッフと日常的に患者さんの治療計画、経過の話をそれこそ、ご飯を食べながらでもしていましたね。 そこでやはりブラッシング指導や歯石除去の大切さを患者さんに理解してもらえるよう頑張るのですが、いかんせんその頃は患者さんにそういう認識がない! ブラッシング指導のための染め出しをすれば怒られる、歯石を取ろうもんなら「そんなもん取らんでいい!!」と怒鳴られる始末。歯科衛生士という職業自体がまだ認知されていない時代ですからそれは苦労したし、スタッフもよく泣いていました。 そうやって悪戦苦闘しながらも歯周治療を進めていくと結果が出てくるようになりました。 患者さんの口の中の状態が徐々に改善していくのは衛生士として喜びでした。 とにかくやれば良くなる ということが励みになったし、その頃から定期健診を勧めていくようになりました。 よりよい指導の仕方、歯石除去の技術の向上にと勉強会、セミナーなども院長に勧められたものや自分で見つけたものに積極的に参加するようになりました。 患者さんの中にも歯石がついたらとってもらわないと、という意識が出てきたんだと思います。 メインテナンスの必要性を話し、半年後には来てくださいね、と促して、来院してもらう。 でも、それは今考えれば歯周治療に傾いた見方だったので、悪いところばかりを見るという盲点がありました。 Q それはどういうことですか? A ブラッシングができている人、口の中がキレイな人にはやるべきことがないと感じていました。そのくせ来院せずに悪くなってしまったひとには「来なかったから悪くなった」というように思っていたと思います。 その頃、過去に歯周治療をやった後、久々に来院された患者さんで重度の歯周病の状態になっていた方がいました。前歯がぐらついていて、ショックでした。 これはおかしい、このような歯周病を起こしている原因を調べなくてはということで歯周病菌の検査も始まりました。 とにかくメインテナンスが大切だといことは明白なのに、結局歯周病に傾いた考えですから「虫歯」に関しては甘かったと思います。 痛くなったら、どこか都合が悪くなったら来て下さい。 虫歯にならないようにするには甘いものを食べないようにというようなアドバイスだったかもしれません。 フッ素塗布が広まってきた頃だったので希望者に実施していましたが、そこで「プラーク(歯垢)があったらフッ素を塗る意味はないな」と感じるようになりました。 歯ブラシによるブラッシングだけではだめだ、歯ブラシできれいになる部分、ならない部分があるな、と多くの方の口の中を見てきて思っていました。手探りで、試行錯誤の時代ですね。 Q その頃、院長が予防を志すきっかけとなった虫歯だらけの子どもたちの来院が相次ぎました。そして平成15年3月忘れもしない院長の予防宣言がありましたね。衛生士歴も10年を超えた頃です A 突然でした(笑) だいたいいつも院長は自分でこつこつ地道にリサーチしつつ十分自分の中では確固たるものになってから急にスタッフに宣言します。 過去に口腔内写真を患者さん全員に対して撮影するよう義務づけたのも、実習生を受け入れるようになったのもこの予防宣言も全部!(笑) ただ院長があちこち勉強会に足を運んでいたのは知っていたし、何か模索していることは分かっていました。だから突然ではあったけれど、来たかといった感じでもありました。 でもそこで宣言されたのは「患者さん全員に唾液検査をする」というもので正直 「え?唾液検査?何?」という感じでした。 患者さん個々の虫歯のリスクを知るために必要だというのです。唾液検査は自費でしたから当然患者さんの負担になる。 それから院長は自ら一人一人の患者さんに時間をかけて説明して唾液検査を行って行きました。 私たちスタッフにはとにかく次のセミナーに参加してほしい、行けば分かると言われ、東京で行われたセミナーにスタッフ全員で参加しました。 Q セミナーはいかがでした? A わが国で予防型歯科診療の道を開いた山形県酒田市の開業医熊谷崇先生によるセミナーでした。びっくりしましたねぇ。 「真の患者さんの利益になる診療をする」この信念で診療をして来られた先生の話はとても説得力があり、また同じ会場にはもう既に熊谷先生と同じ形(メディカルトリートモデル:MTM)で診療を始めている先生方が大勢いたことにも驚きでした。 でも一方で自分たちのやってきたことは間違ってはいなかった、足りなかっただけだ。大丈夫いける!とも思いました。おそらく院長がそう思ったように、私も同じ気持ちだったと思います。 Q MTM というのは分かりやすく言うとどんな診療体制といえますか? A これはMTMを説明する時によく言ってることなんですが、 糖尿病らしき人に何も検査しないで「あなたは糖尿病です」と診断できるか?という考えが根本と言えます。詳しいことはこのホームページ内のご案内のところで紹介している診療の流れを見ていただければ分かるかと思います。 MTMとはその人その人の虫歯や歯周病のリスクを正確に分析するために、手順に沿った検査、診査を行い診断し、必要最小限の処置を行い、メインテナンスを続けるという治療体系ですね。 これまでやってきたことにちゃんとしたシステムをつくれば熊谷先生と同じような「予防型歯科医院」ができる! 熊谷先生から「歯科衛生士がいなければ歯科医院は成り立たない!」と言われたことがすごく嬉しかった。 とにかくプレゼンテーションがすごくて、あれを聞いてやる気にならない歯科衛生士じゃしょうがないでしょ!という感じです。 何より大事なのは院長の気持ち、方針、「患者さんのために」という本当の理念。 これが院長にあったからこそできることだと思いました。 Q 患者さんのために というのはずばり? A 患者さんの生涯を通じてお口の健康を守る、自分の歯を残すお手伝いをするということです Q 丸の内歯科医院もそこからMTMという診療体制を整える作業の始まりですね。 院長が熊谷先生のもとでオーラルフィジシャンのコースを受講してから今日まで、さまざまなことがありました。 MTMの確立のためにスタッフ一丸となって学ぶ中、ISOの認証取得もあったりしてこの9年ほどはめまぐるしい日々だったと思います。現在、メインテナンスの患者さんもある程度定着しているように思いますが、このMTMのメリット、デメリットはどう考えますか? A メリット、デメリットですか? まずメリットは 患者さんと長くおつき合いできることです。 プラスに向けての話ができる。 そうでなければ悪いところを治すということに傾いた「マイナスの話」ばかりになってしまう。少しでも良い状態で、自分の歯を残すためというそのための診療体制ですからね 時々患者さんに 「もし私が寝たきりになったらどうしたらいい?」と聞かれますが「長い間メインテナンスに通っていればそう簡単に悪くならないよ」それに「訪問するから大丈夫!」と答えています!! デメリットは 「時間がかかる!!」 これは初診で来られて最後メインテナンスに移行できるまでに時間がかかるということです 自分の歯科医院を紹介する時「めんどくさい歯医者だよ!」と言ってしまいます(笑) でも、「しっかりやるよ」「来たら分かるよ」「リスクをみなければ分からないから」 と言います。そこには絶対説得力があるはず。 今メインテナンスを受け持って、多くの患者さんの口の中を診ていると残念ながら「悪いもんは悪い」ということも分かるようになりました。その場合は残る歯をできるだけ長く大切にしましょうという方針になります。 患者さんは「今までちゃんと治療すれば良かった」という思いを抱かれると思います。 だからこそ、今度はその方の家族、特に小さなお子さんやお孫さんに早めに対処しなくてはだめなんだという指導もしていくことができます。 そんなケースがとても多いです。 Q 予防は軌道に乗っていますか? A 基本はできていると思うんですが、今後中身をしっかりみていかなければ!と思っています。 まだまだ足りないな、と。肉付けが必要というか、進化しなくては!というね。 そのためにどうしなくちゃいけないのか?というと、自分たちがもっともっといろんなことを学ばなければと思っています。 Q 学ぶといえば、現在「ハイジア」という勉強会に所属していますが、この会はどういうものですか? A 熊谷先生のオーラルフィジシャンセミナーから始まった、オーラルフィジシャンの先生の元で働く歯科衛生士たちの勉強会です。 目標は高く「世界水準の歯科衛生士」を目指しています。 長期にわたる症例を多く持って、データをきちんと管理している衛生士、プロフェッショナルとして学び続ける衛生士。 はここで出会った「ハイジア」の会長の徳本さんのことを私はすごく尊敬しています。 私にはこれまで先輩衛生士という人がほとんどいませんでした。 徳本さんの人柄、これまでの衛生士としての臨床経験、ご自身で活動されてきたこと、学ぶ姿勢全てに対して。この人に認められたい!と思えた人ですね。 自分にとっての目標の先輩衛生士の存在があるのは大事だと思います。 Q さて今丸の内歯科医院は年に3回実習生を受け入れていますが、それ以外に学生への講義なども任されていますね。これからの歯科界を担っていく学生への指導にはどういう気持ちで取り組んでいますか? A そうですねぇ...指導するという使命感はあります。でもおおげさなものではなく学生が今後ふとした時に私のことを「あんな歯科衛生士がいたなぁ」と思い出してくれたらいいなと思っています。 Q では最後にちょっと私生活のお話を聞かせてください。もう長いこと衛生士であると同時に冬場はスキーの指導員として活動されていますね。また、これからの季節、バイクでツーリングにも行っているようですが、これらに対しての思いなどは? A これはもう私にとってなくてはならないものです! スキーにしろバイクにしろそこで出会った人たちは私にとってかけがえのない人ばかり。 そして、スキーでは大勢の子どもたちを指導していますが、そこで得たものが衛生士としての自分にもずいぶん役立っているなぁと思っています。 竹澤さんどうもありがとうございました。 みなさま、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。 久々のインタビューだったのでついつい気合いが入ってしまいました(笑) 丸の内歯科ニュースでは過去にも院長を始め、スタッフへのインタビューを実施していますが、今回は丸ノ内歯科医院と共に歩んできた竹澤さんの衛生士としての長い歴史を振り返るとても有意義なインタビューになったのではと思いますがいかかだったでしょうか? 試行錯誤する長い時間がまた人に深みと強みを与えるのだな、と思えるとても心に残るインタビューでした。 院長と共に歩んで来たこれまでの長い経験に裏付けされた衛生士としての自信と、常に疑問を持ち続けている真剣さがある竹澤さん、そんな彼女のメインテナンスルームはあたたかさと厳しさが同居するとても良い空間になっているように思います。 かつて「自分がこれだ!と思えるところじゃなければ働いちゃいけない!」と教務に言われたことは今ここで実践できているのではないでしょうか? この先もずっと当院を支えていって下さい! また今後不定期になるとは思いますがスタッフ、また時には患者さんへのインタビューなど行っていきたいと思います。 これからも丸の内歯科ニュース要チェックでお願いします!!
by 418support
| 2014-11-20 15:50
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